自己啓発なんて嘘ばかり

私はかわいそうな子だった。
理由はわからないけど、いつもそう言われていた。
もう1つは、いらない子だった。やっぱり理由はわからなかった。
お母さんは、いつもしんどそうだった。体が弱くて、寝込みがち。
よく入院もしていた。
お母さんのお父さんである、私のおじいちゃんは、いつも親戚とケンカしていた。シンセキはたくさんいて、よく家に集まっていた。
たしか、養子とかしたりして、おじいちゃんは11人兄弟だった。
おじいちゃんは、親戚が集まった日は、必ず私と弟をぶっ飛ばした。
私の記憶があるのは3〜4歳くらいだから、弟は1歳前後くらい。
なんでぶっ飛ばされたのかはわからないけど、私が泣いたら、もっとぶたれる。弟は泣いているけど、私は泣いちゃいけない。
そう思って、泣くのを堪えた。
イタイというより、悲しかった。そこに、お母さんはいなくて、誰にもたすけてもらえなかった。
食べるものがなくて、お菓子を棚からとって食べた。
弟はうまくやれなくて、バレた。それも、親戚が集まっているときに。
親戚のおばちゃんたちに言われた。
「泥棒猫!母親も母親なら子も子だね!盗み食いなんありえない!」
それからしばらく、顔を見るたびに「泥棒」って言われ続けた。
多分、まだ4〜5歳だった。
お風呂に入れなくても、遊ぶ友達がいなくても、お母さんが厳しくても、おじいちゃんにぶっ飛ばされても、親戚に嫌われても、我慢すればすぐ終わるから、なんとかやり過ごせた。
でも、お腹が空くのはやっぱり、しんどい。
おかあさんが、押し入れにしまってたペコちゃんのチョコを、弟とこっそり食べてた。
波風立てずに生きるので、精一杯だった。
よく、いきなり、物置小屋に閉じ込められた。
それは夜が多くて、真っ暗で広いゴツゴツした木の小屋に、鍵をしめて放り投げられた。
庭からは、仕事から帰ってくる家の人の足音がする。
「助けて、ここにいるよ」
そう言いたい気持ちを抑えて、誰か気づいて欲しい。
誰か開けて欲しいってただ、願った。
だって、声を出したらもっと長い時間、お仕置きされるかもしれない。
なるべく早くここから出たいから、余計なことはしない。
静かに泣いて、鼻水と涙がたくさん、木のゴツゴツした床に落ちた。
保育園とか幼稚園は行ってなかった。
はとこが幼稚園に行っていて、可愛い制服を着ているのが羨ましかった。
いつも最新のおもちゃを買ってもらって、優しいお父さんと一緒にいて、家族で楽しそうだった。
私とは違って、大きな声で挨拶ができ、ありがとうが言える子だった。
親戚は、いつも比較した。
「Sちゃんは本当にいい子ね。挨拶ができて、ありがとうが言えて。どこかの泥棒とは大違い」
私はSちゃんが眩しかった。みんなに愛されて、恵まれていて。
どうして私の家族は、そうじゃないのかな。
なんで嫌われてるのかな。なんで、幼稚園に行けないの。なんで・・・
友達がいないから、庭で遊んでた。遊び方がわからなくて、椿のツボミをむしってしまった。
また、親戚に言われた。
「ツボミをむしるなんてどうかしてる。悪魔だ」
そっか。わたしは生まれつきやばいのか。仕方ない。私は憎まれっ子なんだ。いつしかそう思うようになった。
親戚がよく私にこう言った
「あんたの母親、また違う男連れて歩いてたよ。しょーもないわね」
5〜6歳の私でも意味がわかった。でも、なぜそれを私に言うのかは、わからなかった。
それから色々あって、私は児童養護施設に入った。
「弟とお母さんと私で住める家を見つけたら、迎えに来るから」
それからしばらくしてゴールデンウィークが来た。
帰省するときは、お母さんが家にいるかもって思ったけど、夢で終わった。
二度とお母さんとは会えなかった。
ここまでは軽く、虐待を受けていたときの感情とかをざっくり書きました。
小学生から、施設に入るまでの記憶を辿った記事はこちら
どうやら私は不幸の申し子らしい
大人になって、「かわいそうな子」って言われるようになった。
理由は、実家がなくて、親がいなくて、施設で育ったから。それから学歴もなくて、資格もないから、将来が大変だね、らしい(当時)
あまり公には言ってないのだけど、20歳を迎えるまでに色んな出来事がありました。言っていないというか、言わないほうがいいってことに途中で気づいたから。
「実家どこなの〜?」「夏休みは実家に帰るの?」
何気ないこんな会話でも、私は返答に困る。その返答次第では、わたしの「かわいそう感」がバレてしまうから。
別に隠していないのだけど、みんなが「実家は茅ヶ崎だよ〜」っていうのと同じ感じで
「実家はないの〜親いなくて施設で育ったから。今住んでるのが実家みたいなもんかな」
と答えてたんだけど、ドン引きされて、「あ、なんかごめん・・・」とかなるのを見たとき、「これって言ってはいけないんだな」って自覚した。
「親がいなくて施設で育った、虐待をうけた人間は、不幸らしい」
いっときは、「そういうもの、それが社会だ」って思っだけど、果たして本当にそうなのか。
納得がいかないまま、年齢を重ねた。
自己啓発を学んだときのメンターには、過去と未来は関係ないって教わった。
それから、「一歩引いて周りを見すぎ、中に入ってみんなと泥遊びをしろ」「私はみんなと同じことしたくないとちょっとバカにしている、人を見下してる」的なことも言われた。
「大きなお世話だ」と思った。
でも、確かにそう見えるかもしれない。だって、必死だったもん、生き抜くのに。いつも冷静さは失えない。
子どもらしく無邪気に感じたままに泣いて笑ってなんて、許されなかった。そんなことしてたら、敵に打たれて死ぬ。
一歩引いて世の中見るに決まってんじゃん、こちとらいつ襲撃が来るかもわからない戦場で、必死に生きて来たんだぞ。
自己責任、選択している、思い込みだ、引き寄せてるのは自分だ、とか
うるさいんだよ。
私がおじいちゃんにいきなりぶっ飛ばされることを、選択したと?
私がお母さんに愛されなかったこと、無視されて、お前のせいで不幸だと言われることを選択したと?
私がいきなり、物置小屋に何時間も閉じ込められて、気が狂うのを選択したと?
私が、ご飯も食べれず、服も着替えられなくて、読み書きが小学生までできないことを選択したと?
いい加減にしてほしい。だから、自己啓発はうっとうしい。
ただ、わかっていることは1つで。
「過去に文句を言っても何も変わらない」ってこと。
だから、私は、かわいそうな子をやめた。いらない子をやめた。もう、嫌だ。私の人生を生きたい。ただそれだけ。過去の呪縛から解放されたい。
いつか、心底、存在意義を感じられたら、生まれ育った環境も、親も全て「選んでいる」と思えるのだろう。
もう少し、時間がかかりそう。日によって、呪いにのまれそうになる。
生まれて来てよかった、この人生でよかった。そういつでも思える自分でありたい。
引き寄せも選択も思い込みもくそったれの理屈だ
自己啓発は、いろんなことを教えてくれた。
まず、私のような体験をした人間には、通用しないということ。
きっと、メンターはそんなことはないっていうと思う。
でもね、その根拠がこれだから
引き寄せ、思い込みが脳科学っていうでしょ。
あのね、トラウマから抜け出せないのも、明るい未来が開けないのも、脳科学だから。
自己啓発学んでて、感じていた違和感の正体はさっきの本に答えが全て書いてある。自己啓発知ってなかったら、自分のトラウマと向き合えなかったし、自分を取り戻せなかったかもしれない。
だから感謝しています。
やっぱり人は、道しるべに導かれている。全ては必然なのだなぁと。
自己啓発はアンチだし、セミナーも私はいかない。でも、これだけは読んだ方がいい。
それから、わたしは2年間毎月5万〜10万円の自己投資をして、成功哲学を学び、実践して来た。
投資して来たから言える話なので、まだ自己投資したことないとか、7つの習慣を知らないって人は、まずは勉強しよう。
それから、トラウマと向き合ってみよう。
大丈夫、必ず回復できるから。
トラウマを解消し、肯定的な人生に変えるためには、固定観念を変える必要がある。信じて、やってみてほしい。毎日の小さな積み上げで、自己信頼が積み上がる。