プロフィール

名前:小野澤 美菜子

1987年 神奈川県相模原市に生まれる
1994年 母親のネグレクトから児童養護施設へ預けられる
2003年 高校を一年で中退、その後鑑別所、児童自立支援施設へと送致される
2005年 藤田観光株式会社へ住み込み就職、翌年退社
2006年 島津製作所へ派遣社員として勤務。翌年、結婚のため退社
2007年 大分県別府市へ引っ越し結婚
2008年 第一子出産
2009年 慣れない環境での生活で体調を崩し、地元神奈川県へ戻る
2010年 体調の回復に兆しが見えず、離婚。子供は大分県で引き取られることに
2012年 バーでママとして勤務
2013年 不規則な生活から体を壊し退社。世界経済と、7つの習慣の勉強をはじめる
2014年

合同会社 Sign 設立
横浜市内の児童養護施設にてワークショップ開催

2015年 横浜市内の児童養護施設にてワークショップ開催
2017年 障がい者就労支援移行事業所にてワークショップ開催

幸せになるために生きている

「幸せになりたい」生きていく上で、生涯に渡って私たちが課題としているテーマではないでしょうか。

めまぐるしく過ぎていく日常の中で、私たちは本来の人生の目的を忘れ、目の前のことをこなすのに精一杯の日々を送ってます。

では、私たちの「本来の人生の目的」とは何でしょうか。「なぜ、何のために」生きているのでしょうか。

答えは幸せになるためです。

私たちは幸せになるために悩み、もがき苦しみ、今よりもっと良くなりたいと向上し成長していくのです。

仕事をするため、子どもを育てるため、親を安心させるため、国のため・・・気付いたら、自分軸ではなく他人軸の上で人生を生きることが当たり前になっています。

(幸せかどうかは別として)

仕事しないと生きていけないし、親の面倒は見るのは当然だし、結婚したら子どもを作って育てることが普通だし・・・はぁ、何のために生きているんだろう・・

「私のための私による私の人生どこいったの・・・」

こんな感じですよね。

これが社会であり、世の中であり、私たちの生きる目的と思ってしまいがちです。

しかし、私たちは「幸せになるため」に生きていることを思い出すことが必要です。

仕事や家庭、友人は、あなたの幸せな人生に彩りを与えるために必要な登場人物や背景です。それらのために自分を犠牲にし、自分の幸せをないがしろにして生きていくのは幸せとは言えません。

守るべき家庭があったらもっと幸せだな、と感じられたら、家庭を持てばいいのです。義務感や、他人軸のなかで生きると不自由さを感じ、不自由感は不幸感につながります。

では自分軸で生きるとはどいうことでしょうか。

自分軸で生きるとこうなります。

「私が幸せになるために、大好きで人の役に立つ仕事をしている」

「家庭をもち大事なものを守っていくことが、私の幸せと成長に繋がるから家庭をもつ!子どもを育てる!」

人間は生まれた瞬間から、死に向かって生きていきます。

「死という終わりがあるから生は尊い」「必ず終わりがあるからこそ、どう生きるか、何を大切にするかが大事」です。

生かされていることに気づくと、人生は少しだけ楽になる

「生きている」というよりは、「生かされている」ことに気づくと、諦めがつきます。

何度も自死を試みたが全く死ねない人、いとも簡単にあっちの世界に行ってしまう人・・・死とは簡単なようで、簡単じゃない。そんなことを考えさせられる場面を、いくつか見てきました。

不思議と、果たすべき役割がある人は、なかなか死なせてもらえないものです。

運命に生かされてしまっているので、「仕方ないな〜」と諦めて生きてみると楽になります。

「神から生かされちゃってるから存在に意味あるじゃん」と自己肯定感の向上にも繋がり、生きる理由を見つけやすくなったりします。

今、あなたが生きていることに価値を見いだせていなくても、事実としてこの世に生を受けたことは奇跡です。

とはいえ、望まれてこの世に誕生した訳ではありません。私は、少なくとも100億回は「産んで欲しくなかった」と思ってきたし、今でもそう思うことがあるような人間です。

私たちは、親の「赤ちゃん欲しい〜」といった勝手なエゴで、この地球上に産み落とされました。

子どもを作る目的なんてなく、遺伝子に刻まれた種族保存本能のままに、命は作られます。すごく身勝手で残酷かつ迷惑な話です。

それでも産み落とされた以上、生きていかなければいけません。どうせ生を受けるなら猫が良かったとわりと本気で思っています。同じ命なら人間じゃない方が良かったよ・・・

勝手に産みおとされ、あえてしんどい人間として生かされてしまっている私たちは、生きる意味を探す旅の途中です。

命の条件は平等じゃないからこそ、役割が存在する

私の命の条件は、たぶんハードです。

あえてこのような書き方をしましたが、つまり、生い立ちや環境のこと。親や、家の状況や条件です。

私の半生で起きたことは、普通の人が経験したら、生きるのをいつやめてもおかしくなかったことばかりです。それくらい、条件最悪でした。

私は、7才のときに両親の育児放棄が原因で養護施設で暮らすことになりました。

その後、19才で母親と12年振りの再会をしたときに、

「産むはずじゃなかった。けど気付いたらおろせなくなっていて、産んだ方がお金ももらえるから産んだ。若いうちに子どもを産むことは、人生が台無しになるからやめておけ」

と、言われました。

つまり、母親の人生を台無しにしたのは私です。私は誰からも望まれず、祝福されることのない環境で生まれ育ちました。

記憶のある限り、母親や祖父母だけでなく、常に親戚中からも忌み嫌われ、いらない子と言われていました。

なぜそうなったのかわからないけど、「私がダメな子だからいけないんだ。もっと頑張らなくてはいけない」そういったことを常に考える子どもで、

今でも「条件つきでないと存在理由はなく、愛情はもらえない」という思考行動習慣が染み付いています。

なぜ、このような生きづらさを抱え、不幸やどん底を味わいながら生きるのか。

その明確な答えはまだわかりません。

しかし、1つだけ言えるのは「全ては幸せになるために起きていて、その人しか成し遂げることができないことがあるから、生かされている」のだと思います。

極論を言うと、虐待を受けたことも幸せになるために必要なことであり、貧しい家庭に生まれた人もその経験のなかに果たすべき役割があります。

命の条件、クリアしていくべき課題は平等ではありません。

しかし、平等ではないからこそ、体験した本人にしか伝えられない言葉や、できない何か、があるのではないでしょうか。

私は、生きるためにクリアする課題が多くても、腐らずめげず、その人にしか生み出せない価値を見出すお手伝いをしていきたいです。

私もまだ途中ですが、生きることをやめず、ニンゲンの旅を一緒にしたいです。

どんな状態でも幸せを感じられる心を手に入れる=真の幸せ

「交際している異性がいたら幸せ」「結婚したら幸せ」「子どもがいたら幸せ」「お金がたくさんあったら幸せ」

このように「○○があるから幸せ」といった思考は、幸せからはもっとも遠いです。

私は、ないものだらけの人生(家族がいない、お金がない、友達いない・・etc)だったので、その全てを手にすることが幸せにもっとも近いと思い込んでいました。

しかし、全て手に入れた後に感じたのは「幸せではない」ということです。

結婚をしたけど、幸せではないと気付いた21才

20歳で結婚、21才で出産したのですが、幸せは感じませんでした。

それよりも現実感の方が強く、「この先、子どもが成人するまでの最低20年を犠牲にするのか」といった不安と絶望が押し寄せました。

「学校で役に立たない勉強を強いられ、自由を奪われ、大人の都合で施設を転々とさせられ、就職したら低賃金で病気になるまで働かされ自由を奪われ、子どもを持ったら自分の人生は棒に振って育児をして、子どもが自立したら次は親の介護か・・・人生はなぜこんなにも絶望の連続なのだろうか」

自分の人生を楽しむ暇もなく、子どもや親のためだけに生きていくことは幸せではなく、ただの地獄だと感じたのです。

私の幸せを感じる場所は、それまで言われていた「結婚して子どもを産み育てるという」部分ではありませんでした。

気質もあるかと思いますが、生い立ちや境遇の関係もあり、自分の存在意義を果たしたいという思いが人一倍強くあったからです

私は自由を奪われることにストレスを感じます。

子どもを育てることは立派なことですし、家族の老後のお世話も素晴らしいことです。

しかし当時の私は、「女は家庭に入ったら自分の人生を諦めなければいけない」といった概念しか持ち合わせていなかったため、子どもと親の存在は精神的負荷が大きかったのです。

もっとも自由を奪うイベントだから・・・

「人よりもきつい条件で人生やってきて、人並みの人生で幕を閉じるなんて、そんなの絶対に嫌だ!!!!しかも、家庭を持つって全然楽しくないじゃん、ナニコレ」

このような感情がフツフツと湧き上がりました。

結果的に産後のホルモンバランスの崩れや、慣れない九州での生活での心労も重なり、気分はどんどん滅入っていきました。そして、「産後うつ」という診断をくだされ、自分をさらに見失っていきます。

条件付きの承認→ただ、存在することに価値を見出せるようになると最強

物心ついたときから、「特別な何か」をしないと生きている価値がないという環境のなかで育っています。

そのため、責任を果たしたり、存在を承認する何か特別な功労的なものがないと、生きた心地がしません。というか、生きてちゃいけないと感じてしまいます。

これは、虐待経験があったり機能不全の家庭で育った人に見られる傾向で、社会活動や恋愛、結婚生活、人間関係にマイナスな影響を与えます。、

「自分は頑張って誰よりも成果を出してここに存在しているのに、なぜあの人はいつもミスばかりで目立った成果も出していないのに平気で存在していられるの?」

このように、特別な成果を出さなくても存在価値を脅かされず、柳のように生きている人に違和感を感じてしまいます。

「私には○○がないと価値がない」といった条件付きの承認は、身を削り、幸せは遠のいてしまいます。

本来、私たちは生まれたときは完全体です。

生きていく過程で、家族や友人から言われた言葉やされたことで、「こうでなければいけない。これがなければ価値がない」という風に、「特別な何かを持つことで価値が生まれる」といった錯覚を起こします。

そして、見栄やステータス、虚勢や強がり、着飾りや横柄な態度といった、鎧をまとい、どんどん武器を増やし続けて生きているのです。

ありのままで存在していいと思える勇気を持つことが、幸せへの第一歩です。

幸せ=鎧を脱いだときに手に入る

鎧を脱ぐ=生まれたときの裸のイメージです。

子どもの頃の、無邪気で人の目を気にせず、ありのままで生きていたときを思い出してください。

何かがないからダメとか、そんなのなかったはずです。

大人になるにつれて、「何をどれだけ持っているか」ばかりが人間の価値と思い込み、社会もそのように評価します。そして、それが生きるために大事と思い込んでしまうのです。

あなたはあなたのままで素晴らしいのです。まずは、そのことに気づきましょう。

私は多くの人の人生に触れてきた経験から、幸せとは心の状態が決めるものということを確信しています。

お金がある、地位がある、誰よりも容姿に恵まれている、たくさんの彼女がいる・・・といったことは幸せとは関係ありません。

上記はあくまでも表面的な判断材料でしかなく、しかも手にしている本人は幸せそうではないことが共通なのが特徴です。

やはり、武器はただの武器です。
鎧は、弱く臆病な内面を一時的に隠すためのものでしかありません。

置かれている状況がどのような状態でも、幸せを感じられる心を身につけましょう。

幸せになるのは簡単です。

難しいのは、状況に関係なく幸せを感じられる心が持てるかどうかです。

存在理由を果たせないことに、幸せを見いだすのは不可能

私が家庭を作りたいと思ったのは、幼い頃に家族と過ごせず寂しい思いをしたという体験からきていて、幸せな家族を理想に思い描いていたので、それが欲しかったからです。

とても安易な考えで、そのようなマインドでうまく行くはずがありませんでした。

家族を持つというのは、命の責任をもつこと。ともに生活をするパートナーの人生も、同じように責任をもつことが重要です。

欲しいものを買って満たす、食べたいものを食べて満たすとは、わけが違います。

結婚をし、子どもを持ったことに後悔はなく、むしろ感謝しかありません。

とはいえ、家庭を持つことは己の幸せ感情を味わうためなので、エゴなのは変わりません。

結婚をし、子どもを持ったことに後悔はなく、むしろ感謝しかありません。

子どもがいなかったら学べなかったことはたくさんありますし、今の私がいるのは子どものおかげです。

感謝していますが、私は温かい家庭を誰よりも強く求めていながら、それを成立させるには不適合な人間という結論に至りました。

理由は、家庭を持つことで、私の存在意義は果たすことができないと思ったからです。私は、他にやらなければならないことがあるのではないかと感じたのです。

一見、周りから見れば不遇な生い立ちから一転、早い段階で女の幸せの全てを手に入れたように見えます。

しかし私のなかの違和感、コレジャナイ感は増幅し続けていきました。

私は、「苦労した体験をただの体験で終わらせたくない」と思いました。

うまく行かないからやめたら、ただの失敗です

失敗しても続けるから上手くいく方法が見つかります。やり続ければ、それは失敗ではありません。

私は人生に対して、そのような姿勢で取り組んでいます。
 

反撃編

多くの人が、失敗することを恐れ、また一度や二度の失敗で「私はどうせこんなもんだ」と諦めてしまいます。

しかし、それではあまりにも、もったいないです。

私の人生を見るとわかるように、紆余曲折どころの話ではないですよね。

しかし、死んでもおかしくなかった人生でも、私は幸せになることを諦めず、自分の人生と向き合っています。

そして、ようやく幸せが見えてきたかな、と感じています。

「これまでの体験全てに意味があり、誰かの役にたつことになる」ということが、腑に落ちてわかったからです。

存在理由や、意味を感じない場所は苦痛です。しかしどんな辛いことも、意味を持てば存在理由に変わるのです。

幸せは自立から始まる

自暴自棄にならず、たまに腐ってもいいけど、諦めず、チャレンジし続けましょう。

責めすぎない程度に自己責任意識を持ち、恐れずに自分から人間関係を作っていきましょう。

真の自立とは、自分で人生を選び、遂行していることを言います。

人は、「やらされている」と感じると不幸を感じます。その一方で、自ら選んでいる自覚があると幸せを感じます。

振り返ってみると、「不幸だな」と感じるときは必ず、選んでいる自覚がないときでした。

しかし、「人生はいつでも自分で選べる」ということに気づいたら、未来が拓けました。

「誰にも私の人生は邪魔できない。私の人生の主役はわたしだ」

「変えられない生い立ちや境遇が足かせになって、私は人生を選べない。生まれた瞬間から不幸が決まっている」そう思い込み、運命を呪ってきました。

しかし、その考えが間違っていることに気づいたのです。

「全部選べるんだ!!!!!」

過去をどう活用するかは自分次第です。

生まれ育った家庭環境や境遇が、どんなにマイナスなスタートだったとしても、諦めず前向きに少しづつでも進んでいたら、必ず助けてくれる人がいます。

「あなたの人生は必ず幸せなものになる」

乗り越えられない試練は与えられません。登山が少し高くて、ちょっとだけカーブがキツイだけ。筋トレする量が多いだけ。あなたは選ばれた人だから。

だから、あなたは大丈夫。もうすでに、誰よりも強く、儚く、貴重な存在です。

あなたの幸せを望む人がいて、あなたに救われる人がいます。

絶対に幸せになりましょう。だって私たちは幸せになるために生まれてきたのだから。

  1. 鎧や武器を全て捨てて、本当の私はこれだー!と自信を持って表現できるようになる
  2. 幸せになるために成長と努力を惜しまない
  3. 諦めることを諦める

私もまだ、幸せの途中です。

私は32年かけて、やっと自分の人生の舵を取れるようになりましたが、孤独との戦いでした。

「前向きなことだけではなく、ときには弱音や愚痴もこぼしながら、ゆるく少しだけ急いで、幸せになるための道のりを一緒に歩める仲間やコーチが近くにいたらいいな・・・」

私が、あったら受けたかったと思うサービスを作り、低価格で提供していきます。