
自分が施設を離れてから改めて客観的に現場を見させてもらったことが、ターニングポイントでした。

児童養護施設の支援を決めたきっかけは、退所後にいった施設見学でした。そのターニングポイントを3つに分けて解説していきますね。
言葉の威力について。支援活動のきっかけは3つあった

児童養護施設の支援活動を決意した理由は三つです。
- 職員の在り方に疑問を感じた
- 昔の自分と入所児童の背景が重なった
- 入所児童を客観視することで、自分に起きている問題の原因がわかった
1つずつ解説していきますね。
1. 職員の在り方に疑問を感じた
横浜市内の養護施設を見学した日の出来事です。そこで暮らす、小学5年生(当時)の女の子と接します。
分かりやすくするために、女の子の状態を記しておきます。
施設見学を提案してくれた現役の職員は、私のことを「子どもの頃は大変だったけど、今は立派な大人になった」という趣旨の話をするため、
「昔、みなこにハサミを投げられんだよ~」
と、思い出話で私の子ども時代を振り返りました。
簡単にいうと、不良少年がまともな社会人になったというテイストの話をした感じです。
すると、そこにいたある一人の職員が、女の子に向かって「あなたもハサミを投げる人になるよ」と発言したのです。
この発言がなぜ、職員のあり方としてふさわしくないのかは、後で深掘りしてお話しします。
家庭で傷を負った子どもたちの養育を任されている人のあり方として、当然ですが、これは失格です。
ですが、実はこのようなことは日常茶飯事です。
このような現場を客観的に見たことで、改めて現場の異常を感じ、早急に子ども達の暮らす環境を整えなければ、と思いました。
2. 昔の自分と入所児童が重なった
ここで出会った女の子は、問題行動を続けることから、「他の子どもに悪影響」という理由で、他の施設へ送られました。
女の子を通して、過去の自分と重なる部分を感じました。
- 母親や、施設職員から否定的な言葉を当たり前にかけられてきていたこと
- 自分の気持ちを伝えられなくて、もどかしくて暴れていたこと
- 誰にも理解されずに見放されたこと
- 問題児扱いされ、事実的に排除をされたこと
ただの問題行動として片付けるのではなく、その背景を知る必要があります。
「規律を乱すやつは迷惑、出て行け」という体質は、結構きついものです。
ただでさえ、元の家庭で死ぬほどそんなことを言われてきている子ども達です。
こんな劣悪な環境では、まともな人間にはなれない要素がありすぎましたね。
私の二の舞になる子どもを減らしたい。排除ではなく、理解に努める関わりをしてほしい。本気でそう願います。
3. 入所児童を客観視することで、自分に起きている問題の原因がわかった
私は人に優しくされると、わざと嫌われるようなことをして、離れるように仕向けてしまう癖があります。
心では幸せや人との繋がりを求めているのに、行動は反対のことをしてしまいう・・・幸せから逃げている状態です。
この原因になっているのが、母親からうけてきた人格否定の数々の呪縛です。
恋愛をしてもうまくいかず、お互いが消耗するような関係しか築けませんでした。
相手にも「どうしてわざと嫌われようとするの?」と言われても、無自覚でした。
この、あべこべ行動の理由は不明なまま、精神病か何かかとずっと思っていたのです。
しかし、施設で見た光景で私を苦しめているのは、過去に職員や母親からやられてきていたことが原因だとわかり、自分を知るきっかけにもなりました。
①否定されて育った人は、承認される(幸せ)などのプラスな状態を受け入れられない
→してもらったことがないことは、受け取り方がわからない
②自分は幸せになれると思ったことがない(思い込みがナチュラルにマイナス)
→苦労することが当たり前すぎて、少しでも順調だと逆に不安になる。幸せとは無縁と割り切って生きている
③幸せを感じると、失う不安が大きくなり自分から手放す
→無償の愛情をもらう時期に見放された経験があると、極度な「失う恐怖」を感じる。失うくらいなら最初から不要という思考になる
施設で暮らしたことのある人は、私のように幸せを拒絶するか、反面教師でものすごく人を大事にするかの極端に分かれます。
特に女性は、脳の構造上の関係で、愛情の拒絶反応が出ることが多いとされています。
施設職員が子どもに言い放った、「あなたもハサミを投げる問題児になる」
この言葉は、「私はそういう子どもなんだ」という固定観念を植え付けます。
私が母親に、「お前はいらない。邪魔だ」と言われ続けたことで、「私には存在価値がない」と常に聞こえてくるのと同じ状態を作り出しています。
こういったことに早い段階で気づいて、子どもたち自身が負の呪縛から逃れ、幸せになってほしいという思いで活動をはじめました。
言葉は人生のレール

人はかけられた言葉の通りになっていきます。
褒められて育った子と、否定されて育った子では物事の見方や自己信頼感などに大きな違いが出ます。言葉の力は超絶大です。
言葉がもたらす影響を三つにまとめました。
- ①かけられた言葉の通りの人間になる
- ②言葉は思考を表したもの
- ③思考→言葉→行動→習慣→人格になる
威力、ハンパないですね。
✅言葉が人生にもたらす影響
プラスの言葉をかけられた子ども
- 「あなたは出来る」「素晴らしい」と認められ、応援されて育った子は自己信頼感が強い
- 何をするにも前向きに捉えられる
- 挫折を味わっても立ち上がることができるし、チャンレンジを恐れない
- 人と情緒的な関わりをすることを困難とせず、人生を楽める
マイナスの言葉をかけられた子ども
- 「あなたには無理」「できない」と否定されてきた子は、自分を信じる力が弱くなる
- 人に愛着を持つこと、情緒的な関わりを持つことを無意識に避ける
- チャレンジしようとするときは、頭の片隅で「あなたには無理」と聞こえてくる
- 過剰にネガティブな感情におそわれやすい
- 常に孤独で、異常な不安感を感じている
言葉によって思いこみ(固定観念)や自尊心は作られます。
その仕組みと、具体的にマイナスな観念を書き換える方法を書いています。
言葉の大切さを伝えていく

言葉を発信する大人は悪気がない場合が多いです。
ちょっとした冗談のつもりで発信していることもあるでしょう。しかし、良くも悪くも子どもに潜在的に植え付けられて行きます。
大人は言葉の意図を汲み取ることができます。
私たち大人は言われた言葉の意図を確認しながら、コミュニケーションをとることができます。その言葉が善意なのか悪意なのかを見極めることができます。
そして、その言葉を受け入れるかどうかは自由に選択することができます。
子供たちにはそれらを判断する力が備わっていません。
触れるもの体験するものが初めてのことが多く、全てが新しい学びです。そのため、良いか悪いかを判断する前にまず受け取ってしまうのです。
つまり、相手が子供だからこそ、大人同士で会話をする以上に配慮した言葉選びをしていかなければなりません。
言葉遣いに気をつける→丁寧な言葉を使うだけでなく、かける言葉に気をつけることが大事です。
子どもの未来は無限大であり、かつ、可能性の塊です。私たちは無意識に子供の可能性を潰してはいないでしょうか。
人はかけられた言葉の通りの人間になる
繰り返しになりますが、私はいまだに存在否定をされて育ったことが足かせとなることがたくさんあります。
「自分なんて生きていてはいけないんだ」という底辺ラインから人生が始まっているので、これを肯定的にするのはマジで簡単じゃありません。
それでも、「こんな私でも生きていていいんだ」とやっと少しだけ思えるようになってきました。
それは、完全に今まで関わってきてくれた人たちのおかげです。
親に恵まれなかったけど、人に恵まれたのでなんとか生きています。
日頃からどのような人に関わってもらうか、で人生決まります。つまり、関わる人の質が重要だということです。
少しでも多くの子どもたちが、「自分は生まれてきてよかった」「幸せになれるんだ」という可能性を信じれるようにしていきたいと強く願っています。