【体験談】真の自立に気づいた出来事と解説を2つにまとめました!

児童養護施設の子どもたちの「自立」は何を基準に判断したら良いのでしょうか。社会一般的には、二十歳になったら大人の仲間入りとされますが、大人になることと自立はイコールではありません。

児童養護施設の子どもたちは、一般的な家庭よりもかなり早い段階で自立を強いられます。ここでいう自立は「仕事をする」「施設を出る」「一人暮らしをする」ことをいいます。しかし、それはあくまでも表面的な自立であり、本質的な自立ではありません。精神、物資、心身がバランスを取れた状態ではないものは、見せかけのあくまでも目に見えている形での自立風なだけです。

ここでは、私が自立と向き合い悩み苦しんだキッカケとその体験によって導いた答えを、2つにまとめて解説していきます。このポイントを押さえることで、「自立」を「就職」と定義するような小手先の価値観を押し付けることはなくなるでしょう。

企業や個人、社会が自立について向き合い方を見直し、より本質的かつ長期的な支援活動をしていけるようになって欲しいと思います。

真の自立に気づいた出来事と解説を2つにまとめました

そもそも、何をもって自立というのか、大人すらもわかっていません。大人でもわかっていないことを、子どもに押し付けるのは違いますよね。私が、自立とは何かを考えたキッカケと当時の心境をもとに気づいたことをまとめました。

  1. 衣食住の安定のために選ぶ高校進学(進学の目的不明確)
  2. 自立はまず気づくこと

1.衣食住の安定のために選ぶ高校進学(進学の目的不明確)

児童養護施設は18歳まで暮らすことができますが、高校進学が必須条件です。
つまり、高校進学の道を選ばない子は、就職の道を選ぶことになります。それと同時に施設での生活もできなくなるので、強制的に15~16歳には自分で働いて生活をしていくことになります。

わずか15歳で、それまで守られていた環境から突然外の世界に放り出さられることは、計り知れない恐怖や不安がストレスとなります。実際に私の2つ上の先輩は高校に行かずに就職したましたが、23歳の時に自ら命を絶ちました。全く頼れる後ろ盾のないまま15歳で社会に出て生活していくことは、社会が思っているより簡単なことではありません。

生活の知恵もなく困ったときに相談できる場所もない、後ろ盾が全くない状態で生きていくと言うことは、とてつもない恐怖です。

このような背景から苦労をしている卒業生の先輩を通して見てきていたのもあり、将来を考えることが現実になった中学三年生のとき不安や恐怖心を感じ始めたのです。その気持ちをどう表現したら良いか分からず、不登校になることや新しく入った施設職員へのいじめ、生活の規則違反をおかすことで、表現していた気がします。

当時は漠然と恐怖や怒りや悲しみが沸いてきて、理由はわからなかったのですが、きっと見えない怖さを「気づいてもらいたい」と思っていたのだと思います。
さまざまな問題行動の動機は「理解してほしい」たったそれだけのことだったと思います。
>>SOSに気づく大切さ

 

育児放棄の家庭で育った私にとって施設での暮らしは、家庭のなかで育つよりも恵まれたものでした。最低限の衣食住が安定するため、中学生のときには高校に進学することだけは決めていました。ただ、進学先やその先の未来をイメージして進学を決めたわけではなかったので、不安はつきまといました。

高校卒業後に就きたい職業がイメージできていなかった私は、高校に進学するだけではその後、生きていけるのか自信が持てませんでした。なぜなら、得られるものは「高校卒業」という資格だけで、その資格で未来が保障されているわけではないからです。

本当は音楽を学びたい気持ちがありましたが、進学費用の捻出が難しいことや施設退所後の住居問題などから、勉強したいことがあると言い出せないこともあり、高校卒業後は自然と就職をする道を選ぼうと考えていました。

就職を選ぶ子どもは退所後の住む場所がないため働くことを選ばざるを得ません。住み込みや寮のある職場を選んだりと、仕事内容だけではなく、生活もできる場所かという視点から選んでいきます。それだけで、選択肢は狭くなります。

2.自立はまず気づくこと

26歳のときに、「今の現実を作っているのは良くも悪くも自分」ということに気づきました。そのときから、過去も含め物事の見方を変えていったのですが、結果として「どんな人も自分次第で思い通りに生きることができる」ということを実感しています。しかし、最初からそうだったわけではありません。


「気づく」ことは自立の一つと私は感じています。気づくことは、考え方の幅を広げ選択肢を増やすきっかけになります。仕事などの物質的な自立の前に心の自立が必要です。

社会養護の子どもは、生い立ちや境遇に少なからず否定的な思いや感情を抱いています。しかし、20歳を超えていくと親や環境のせいにはできなくなっていくのが現実です。過去を完了されないまま年齢を重ねていくと、心だけ育たず置いていかれてしまうことになります。

そうなると、社会で求められる「大人像」や「自立」と置いてかれたままの「心」の間に溝が生まれます。つまりギャップです。このバランスが取れなくなることで、どんどん心が病んでいきます。

このギャップを埋めていく作業をすることが、つまり、「過去完了」をしていくことです。方法はいくつかあります。過去の逆境をエネルギーに変えるも参考になります。

 

まとめ

歴史から学ぶといいますが、人生も同じです。過去はいわば、歴史です。
そして、そこからは実は学びしかありません。出来事は学ぶために起きているからです。それらにまず「気づく」ことから始めることが、自立への第一歩なのではないでしょうか。

>>過去が武器になる
>>固定観念の書き換え方

人は必ず生かされています。たまたま生きていることはないし、意味があって生まれています。

しかし生まれた環境や境遇、能力や容姿は平等ではありません。

なにが良くて悪いかというのは人それぞれの主観ですので、判断はし兼ねますが、それでも世の中は全ての人に同じ条件はあり得ません。それは、それぞれ前世からの魂修行のために、今世に生まれるとき、より自分が学びを得られる条件を設定して生まれてくるからです。

人は必ず生かされてるし、死も決まっている。

被災地や、事故、事件、様々なことて命を落とす人がいる。また逆に生きている人もいます。

震災はその場所にその時間にいなかったから遭わなくてすんでいますし、たまたま、普段いない場所にいったら事故に巻き込まれることもあります。

こうして、私たちは不思議な力の中で日々行動し生きているのです。自分で選んで生きているはずなのに、実は運命が決まってることもあるのです。

それは魂が持つ必要な試練ややるべきことが必ずあるからです。

こういっては批判が来そうですが、事件も事故も、起きた出来事が重大であればあるほど組織や考え方、法律、国さえも変えることがあります。

これまでも多くの犠牲を出しながら発展してきました。薬や飛行機などもそうです。

たくさんの失敗例があるから、それを賄うためにより良い国作りが行われていくのです。そのため、長生きをせずとも、事件や事故に巻きこまれた場合も、それがその人の運命であり必要な出来事だったのです。

その人はその出来事を通してなにかを清算したり、使命を全うするのです。

私も何度も死にたいと思ってきました。今でも思います。しかし、何度か死んでもおかしくないことは経験しながらも生きています。

生かされてるとしか思えないことばかりが起きているからです。

まずは、母親が産みたいと思ってなかったのにお金がなくて病院にいけず、いけた時には中絶できる週数を超えていたというのが第一関門突破です。笑。

その次はネグレクト、つまり育児放棄です。まともに食事を与えられず、放置されていました。今思えば、屋根のある家で生活できただけでも奇跡に近かったのでしょう。人間らしい生活は全くしておらず、親戚の同い年の子供がキレイな制服をきて幼稚園に通っているのを見るのはとても辛いものかありました。

小学生にあがり、なんとかランドセルを入手し、学校に通うことができましが、入学式で新しいよそ行きの洋服を一着だけ買ってもらい、筆箱を持てたことは奇跡でした。

ランドセルは持たない状態で入学が決まっていましたし、筆箱を買いに行った時も、あんたがいるからお金がかかる。迷惑がかかるといわれていました。

私は存在してはいけない存在で、 迷惑なんだと刷り込まれてきました。小学生にあがってしばらく経って、児相に送られます。しばらく経って職員がいいます。

学校にいきたい?うんいきたい。というと、養護施設への入所が決まりました。

あとからわかることですが、この時、ネグレクトに見兼ねた親戚が施設に入れることを進めたそうです。私だけでなく、3歳下の弟はさらにひどい扱いで、彼の方が生きてることが奇跡だったように思います。

私は施設に入所することにより人間らしい生活と最低限の教養、また、通常の家庭では経験できないこと、保証された生活をすることができるようになりました。

このように、人はどん底におちてもなにかのきっかけで救いあげられることがあります。それはその人が必要で、死なれては困るからです。私は母親のもとで生活していたら間違いなく生きていないし、生きていてもこうして記事を書いてることもなかったかもしれません。

他にも生かされていることに気づくことについて書いていこうと思います。

もしあなたが、生きてる意味ないと思ったらやるべきことは…

です。

私のように、ここで書いた一例だけでも周囲からはかわいそうと思われ、大変だったね、と言われます。

しかし、これだけのことがあっても、ひとつだけ平等なことがあります。それは時間です。時間だけは誰にでも平等に24時間365日あるのです。

なにを優先し、だれと過ごすか。どう過ごすか。この積み重ねで人生は大きく変えられます。

裕福でもなにも学ばず、なにもせず、何も成し遂げずに終わる人もたくさんいます。

自分の境遇や環境はキッカケにしかならず、必ずコントロールできることに集中するのが大事です。生い立ちや境遇、過去は変えられませんが、時間も未来も今なにを選ぶかはコントロールできます

 

否定されたこは否定する

以前に私はこう書いたと思います。

しかし、必ずしもそうでないこともあります。

それは私の同級生です。

私の同級生は2歳から施設にいる子など、ほとんどが親の記憶もない頃からか、幼稚園かからの入所がほとんどでした。

その中でも私は7歳からの仲間入りでしたので珍しく遅かった方です。

31歳をすぎた頃、突然ある一人の同級生から連絡がきます。それまで同級生は全く接点がなく関わってなかったのですが

それを皮切りに同級生が全員集合したのです。

そこで感じたのは、否定されて過酷な状況で育っても、人間性は素晴らしいということです。

例外もいましたし、いまだに人生楽しめてない人もいましたが、ほとんどが親の反面教師で、自分は自分の親みたいなことはしたくないという一心で家族を守っていたのです。

そして、幼い頃にあった色々なことはすべてポジティブ転換されていて、笑い話思い出話になっていたのです。

ある意味鈍感力がなせる技です。

あまり深く考えず、ただ感謝しているのです。これはこれですごいことだと感じました。

どちらかというと私の方が東京かぶれというか、あなたたちとは違う。という意識が強くなってたなぁと気づきました。

しかしそれも使命で、私は経験したことからこれからの未来にむけて新しい何かを伝える人なんだと思います。

また、彼らには施設で育ったひとは、家族でありかけがえのない仲間です。

生きるステージが違うのは当たり前のことですが、小さい頃共に苦楽を共にしたものはやはり特別なんだと感じました。

私はそれまで幼い頃の事は忘れていましたし、重要ではないのですがそれを必要としてるひとはたくさんいます。

施設をでたあとに、問題を起こすことをおそれて、連絡をとることは禁止されています。

しかし、施設出身なだけであって、ふつうの過程とかわらず、ただの小学生のときの友達、というだけなのです。

それを施設だからといって友達関係をたたせることは如何なものかと思います。

こういったことからも施設出身者の集いの場が必要です。

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