幸せとは、心の状態が決めること

 

幸せとは。感じる場所が違う

幸せはとてもシンプルで、当たり前にみんなが幸せを感じることを感じられることです

  1. 毎日お風呂に入れること
  2. ご飯を食べられること
  3. 服を着られること
  4. 友達がいること
  5. 愛し、愛されの関係が築けること

つまり、人間が生きてくうえで当たり前にしていることができることが幸せです。

被虐というだけで、人生はそもそもマイナスからの始まりになります。

当たり前に幸せを感じるということは、どういうことでしょうか。それは、美味しいものを食べて美味しいということ、美しいものを見て美しいと思うこと、誰かに優しくしてもらったら素直にありがとうと言えること。

そういうことが自然な幸せです。

日本はとても豊かな国です。どんなに大変でも飢えて死ぬことなどはあり得ません。

それなのに、なぜか先進国の中でもダントツといってもいいほどに幸福度が低いです。これはなぜでしょうか。豊かになっていく一方で失っているものがあるということです。

人と比較して相対的に幸福を感じることは幸福ではありません。本来の幸福とは、ありのままを愛する。ありのままに感謝していきていく。大切な人を大切にする。大好きな人に大好きと伝える。それが幸せなのです。

私たちは豊かになった裏側でおろそかになっていっていることを思い出さなければいけません。そして、それは被虐児からも学べます。

被虐児は普通の人と同じように生きるために、普通に見えるようにとても頑張っています。彼らは普通の人が感じる当たり前の幸せを感じることを求めています。

そして、自分と向き合って問題が解決すると、美味しいものを食べて美味しいと感じたいと、それが求めていた幸せだと気づくのです。

基本的な幸せの感じ方、決め方です。

  1. 今幸せなことに気づく
  2. 幸せは心の状態が決める
  3. 幸せは比較では手にできない

 

幸せの感じる場所

幸せは当たり前じゃない。生きていることは当たり前じゃない。
養護施設にいた時の夢は、親元に帰ること今の私の幸せは、普通に幸せを感じることだった。

成功哲学や自己啓発も学んだ。でもそこに私の幸せになるための法則はなかった。理屈はわかるけど、自分とはかけ離れていること。これじゃない感がすごかった。

普通の人が感じる食事の楽しみ、愛する人との時間、友達と楽しむ遊び、素直に感じるものを感じたい。

当たり前にないことだらけで、それは、逆に何事も幸せに感じることでもあると思う。でも必ず幸せの反面を予測してしまう。いつまでも幸せは続かない。ならば、幸せを感じてどん底に落とされるくらいなら、最初から幸せなんてない方がいい。

生きてるだけで幸せとか、生きてるだけで丸儲けってさ、それ、本当に意味がわからない。

私は生きてるだけで迷惑な存在だった。生きてると負担がかかるから。生きていく価値を感じたことなんてない。

ある本で、死にたいは生きてる、生きたい前提。消えたいはそもそも生きたいと思っていない。存在していない前提ってみた。消えたい参照。

完全に後者だった。そうか。私は、まだ、自分の人生を生きていないんだな。生きる楽しさを見出せてない。

生きてるだけで人に迷惑かけて、こんなに辛い思いをするなら、生きてなくていい。生むはずじゃなかった。気づいたらおろせなかった。何でもっと早く気づいてくれなかったの。おろしてほしかった。無責任に産み落とさないでほしかった。

育てるのも大変だよね。でも、生きるのも大変だよ。

私は今やっと、人間らしく当たり前の生きる喜びを感じたいって思います。

すごく勇気がいるし、大変なこともわかってる。でも、幸せになることを普通に喜びたい。味わいたい。受け入れたい。

今はただ、それだけが夢です。

成功とかそういうのじゃない。successじゃなくて、まずhappiness

みんなに備わってる愛されたことによる愛着。ここが欠けてるから、自己啓発なんかでクリアにできるはずがない。

まずはみんなよりだいぶマイナスからのスタートです。人間として当たり前に感じることを素直に感じたい。感じるために何をするか、今はただ、それだけです。

子供らしい子供時代を過ごしたことがないからわからないといったら、そんなはずはないと言われた。いつのまにかそうやって殻を被ってきたのだがら、子供らしさがあるはずだと。

幼い頃は気づかない。母親が悪いかどうかなんて判断できない。

幸せは相対的なものではない

どんな出来事があっても、その時の心の持ちようで不幸と感じたり幸せと感じたりします。出来事があなたを不幸や幸せにしているのではなく、あなたがどちらかを選んでいるのです。

同じことか起きても、幸せを感じらる人と、そうでない人とがいます。幸せはそれぞれ違うのです。

例えば、高級バッグのバーキンをプレゼントされても幸せと感じる人とそうでない人がいます。

バーキンよりも家が欲しい、家よりも現金が欲しい、それよりも毎日の手作り料理が幸せと感じる人もいるでしょう。それくらいに幸せの形は様々です。

誰かと比べて自分は劣っている、持っていないものがあるから不幸だ、幸せだと言う考え方はそこ思考がすでに不幸です。

比較は不幸の始まりとも言いますが、幸せhs比較して感じるものではありません。

また、幸せとは何をもって幸せと言うのでしょうか。

お金持ちになったら?具体的にいくらもったらお金持ちなのか。家をもったら幸せなのか。ではどんな家だったら幸せなのか。美しかったら幸せなのか。など、きりがありません。

そもそも幸せと何でしょうか。人にないことができることでしょうか。

今の時代はアスペルガーやADHDなどが発達障害として一般の人にも知られるようになりました。

メディアに出る人も発達障害を公表しています。多くの人が発達障害と戦い、認知されてない時代に生きてきた人たちにとっては少し生きやすい時代になったのではないでしょうか。

例えば、一昔前まではいい会社いい大学を出たら幸せになれると言われ、進学する大学でその後の将来が決まっていたような時代でした。しかし、今ではそのようなことは通用しなくなりました。

どのような人でも幸せになる権利やチャンスがあると言うことが証明されつつある時代です。

学歴ではなく、個人を評価される時代にやっと周囲がなってきました。個人の経験はひとのためになり、有力な情報になります。人がひとの経験にいかされ助けられていることを実感します。

体験談幸せは相対的なものではなく絶対的なもの

実体験

私は通っていた学校の方針柄、健常者といわゆる障害者のかたとたもに授業を受け、学校生活をしてきました。

さまざまな障害のある方と接してきましたが、障害とは、健康に生活をできる人と違う人。体が健康体で勉強が一般的にできるひとについてこれない人は全て知的障がいとみなされました。

そして、私は7人兄弟の長女ですが、下の弟2人と、腹違いの4人の姉妹弟のうち3人が障害者と認定されていました。

一緒に時間を過ごした下2人の弟は知的障害者として、手帳をもち、国の支援を受けながら自立、生活しています。

弟は勉強が苦手なだけで、コミュニケーション能力はとても高いです。自分がされたら嫌なことはしない。人と人間関係を築く時は自分からオープンハート。仕事にも友達にも恵まれ、とても可愛がられて生きています。

この弟のあり方を見ていると、障害は害ではなく個性だと気づかされます。学力障害だからといって障害なのでしょうか。勉強が全てでしょうか。

彼は高学歴のニートやコミュ障よりも人間力が優れ、社会に貢献しています。また幸せで自尊心も満たしています。

今あるものにフォーカスする。幸せを感じられない時は必ず感謝の欠如が起きています。ないものにフォーカスし、あるものが見えていないのです。

あなたはあなたのままで無限の可能性を秘めたダイヤモンドです。そして、今あなたが幸せなことに気づくことから幸せが始まります。お金がないから、ブサイクだから…という言い訳で不幸を主張しているうちは一生不幸です。

ただ、幸せと豊かさは違います→豊かさ

すでにあなたは幸せです。思い込んだとおりになるので、幸せに気づくことで、次の幸せを引き寄せていくのです。

解決策

・長所を書き出す

・できることを見つける。自分を褒める。

→個性とは何か

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