
子ども福祉に従事する人の多くが、このような悩みを抱えています。先に言っておきますが、傷つけないことは不可能です。
では、上記の悩みを解説していきますね。
※児童養護施設に入所する児童を軸に書いていきます。子ども→入所児童と表記いたします。
児童養護施設で暮らす子どもたちと関わるときに最も重要なこと

「あなたの人生はあなたのものであり、自由に生きなさい」と教えてあげることが大事です。
繰り返しになりますが、入所児童と職員の線引きをするとき、子どもを傷つけないことは不可能です。
「傷つけたくない」は大人側の都合でして、そのようなマインドは逆に子どもを傷つける要因になります。
視点を変えて見ると、そもそも「傷つけたくない」はかなり傲慢な感情です。
福祉系の仕事をしている人は特に、自分の人生と仕事で関わる相手の人生を一緒に考えがちです。
冷たい言い方かもしれませんが、そこは区別して考えていきましょう。
以上の前提を踏まえた上で、児童養護施設の子どもと接するときのコツは、以下の2つで十分と思います。
心理学などの専門書を引っ張り出したり、テクニックに頼ったところで意味はありません。
当事者の私はそれを肌で感じています。
- 職員にもそれぞれの人生があることを伝える
- できることには限界があるが、ベストを尽くして関わる
1.職員にもそれぞれ自分の人生があることを伝える
仕事として子どもに関わっている大人にも、個人としての人生があります。
子ども福祉職に就く=入所児童の背景や未来も一緒に背負う
このような思考になってしまう人が多いです。繰り返しになりますが、このパターンはおすすめしません。
必ず、仕事と自分のプライベートは分けてください。
子どもは、身近で養育関係にある人のことを「母親」と認識してしまいます。
つまりこの場合、子どもたちにとって職員は「親代わり」になります。
私の弟の例を紹介します。
私には3歳下と、7歳下に弟が二人いまして、それぞれ
3歳下→K
7歳下→Tとします。
- Tは0歳から乳児院に預けられる
- 3歳になると私の暮らす養護施設へ入所する
- Tは母親の記憶が全くない
私と、Kは母親の記憶がります。
- 母親のいとこにあたるおばさん家族が親代わりみたいなものだった
- 長期休暇で、おばさんの家に帰省させてくれていた
- Tは帰省中にいつも母親のいとこのおばさんを「お母さん」と呼んでいた
私とKは、母親に育てられた記憶が残っていたので、いとこのおばさんが自分たちの母親ではないことをわかっていましたが、Tはそれを理解するまでに時間がかかりました。
おばさんのことを「お母さん」と呼ぶたびに、「あなたのお母さんではない」と返答される弟を見るのは、私も結構きつかったです。
弟は、母親の代わり的な関わりをしてくれた人を「お母さん」と認識し、同様におじさんのことも「お父さん」と呼んでいました。
おばさんちの子どもたちが、おじさんに遊んでもらっているのを見て、「お父さん!僕もやって!」と頼みに行く弟の姿は今でも忘れられません。そのときのおじさんの困惑した顔も・・・
無条件に親を求めるのが子どもです。身近で養育してくれる人を親と思いたい気持ちは止めることはできません。ただ、子どもたちもそこは理解しているので、職員に親代わりを求めている、求めたいけど我慢している状態です。
だからこそ、施設職員にも大切な家族がいて、プライベートがあることを伝えなければいけません。一見、酷なことではありますが、一番大事なことです。
できることには限界があるが、ベストを尽くして関わる
無償の愛情を求める心と職員という立場の境界線

私が養護施設で暮らしていたとき、実際に職員に抱いた気持ちです。
子どもにとって職員は職員でしかありません。お金をもらっているから私たち(子ども)に関わるものという概念があります。

断言します。無理です。
一方で、子どもが求めるものは「親」または「親代り」です。その感情が向けられるということは、期待をしてくれているということでもあるのです。

子ども達は常に、職員に親を求めながらも職員という線引きの矛盾のなかで戦っています。
本来、子どもは母親から見返りのない無償の愛を与えられて育つものです。生まれながら平等にその権利を持っています。
無条件に愛されるはずだった幼い頃に、そうではない体験をすることによって、その後の心や人生に大きな影響が生じていくのは当然のことです。
つまり、施設で暮らす間に子どもたちの自立を助けることがどれだけできるのか、ということは重要なポイントです。
仕事として子どもに関わるけど、「あなたのことを思っています」という行動の積み重ねをしていきましょう。
子どもたちも、職員が愛情を持って関わってくれたことにいつか必ず理解できる時がきます。もちろん、全く気づくかないこともありますが、そこは大して重要ではありません。
100人関わっても愛情に気づくのは1人いたら良い方です。大事なのはどのような心構えを持って接するか。それだけです。
できること、してあげられることが限られているからこそ、私たちは何に力を注いでいくのか、してくべきかを考えていかなければいけません。
こちらは、臨床心理士として20年社会的養護の子どもたちの心に寄り添ってきた心理士のサイトです。実際のケースを通して、子どもの心について解説しているのでオススメです。
福祉活動といってもできることには限界があります。
私は、当事者として経験を通して同じ境遇のなかにいる子どもたちの支援をしたいと思い、活動を始めました。
その立場になって初めて、これまで職員の方たちがどのような思いで自分に関わってくれていたのか、私への関わりの背景を知るったときに、感謝の気持ちが湧きました。
そのときには分からなくても、必ずしてもらったことの意味に気づきます。大きな心で、見守りましょう。
あなたはあなたの人生を歩みましょう

そもそも「家族だから」「身内だから」という縛りに囚われている人がとても多いです。
家族であっても一個人であり、他人であるのと同じです。もちろん助け合うことは大事ですが、家族だからといって縛られ続けることはありません。あなたはあなたの人生を生きてください。
・兄弟姉妹でも家族ではあるが、全く別の個である
・「家族だから」という言葉に縛られて、自分の人生をないがしろにしている人が多い
・社会的に、血縁者に責任義務が問われやすい
・職員は子どもの親代わりのような立場にあるが、親ではないこと、職員にも職員の人生があることを伝える必要がある
子どもに直接、私はあなたと親ではない。私には私の人生があり、あなたはあなたの人生があると言うようなものです。伝え方を間違えれば、子どもは見捨てられ感を抱く可能性があります。
しかし、反対に子どもの親代わりをしてしまう方が、後からさらに強い見捨てられ感を抱くことになります。
- あなたはあなたなりの人生の道を見つけること
- 自分にも家族や家庭があり、自分の人生があること
- 家族だかと言うことに縛られなくていい
私は学歴社会という時代の背景もあり、
施設にいると大学進学が絶望的→就職が不利→人生負け組み→施設育ちの人生絶望的→かわいそう
こんな見られ方をしていました。正直、今もまだあるだろうな、と思います。児童養護の世界は閉鎖的なので・・・
実際、施設職員に「学歴も資格もないから、この先の人生大変だな」と、言われたこともありますが、かなり時代遅れです。古い概念はゴミ箱に捨ててください。
「あなたの人生を生きなさい、応援しています」これを、たくさん伝えてあげてください。入所児童はそれだけで救われるものです。